1、米国に、そしてついに日本国政府に沖縄県民斯く戦へり

 

   =海兵隊の抑止力はユクシ(うそ)力=

  

 巷(ちまた)に、否、それはネット巷(ちまた)にと言ってもいいかもしれない。米海兵隊普天間基地辺野古移設に反対すると、アメリカが怒って米軍がいなくなり、沖縄は中国に占領される。ひいては日本も国防の危機になると言われる方がいる。私はその事に異を唱えたい。それは次の事を考えるからだ。

 

 言わずと知れた海兵隊の任務は地上戦の斬り込み隊である。先陣を切って敵陣に橋頭堡を確保することである。しかし、海洋に浮かぶ小さな尖閣諸島には米海兵隊の強襲は難しい。島を確保するには空や海を制することが先だからだ。実際の戦闘では空軍や海軍が先に動くだろう。島を取られる前に領空や領海を侵犯されるからだ。島を取られたとしても、島を死守することは難しい。強固な守備陣地のない小さな自然の島では上陸部隊全滅は目に見えている。取ったり取られたりの繰り返しで兵員の消耗戦になる。

 米国政府も小さな無人島にアメリカの若者の血を流したくないと言っている。何発かの潜水艦からのミサイルで十分な作戦だろう。海上自衛隊でも十分だ。日本の海軍力は世界2位と言われている。空母のようなヘリコプター搭載護衛艦もある。要は尖閣諸島を制するには海を制すればいいと言うことになろう。たとえ尖閣諸島が占領されても海を制すれば孤立させることができる。ライフラインを断てばいい。強いてオスプレイで強襲上陸をする必要もない。逆にミサイルでロックオンされる。

 中国が数に任せて強引に尖閣諸島を取ろうとしたら、艦船同士の入り乱れた戦いになり、東シナ海海戦は必至だ。その時日米安全保障条約に従って、空母ロナルド・レーガンを旗艦とする米海軍第七艦隊が参戦せざるを得ない。日本国内の横須賀や三沢、佐世保、厚木、嘉手納などから海や空を制する軍事作戦がなされるだろう。もちろん、自衛隊に呼応しての共同作戦になる。その時、日米合同軍事訓練の成果が試されよう。結局尖閣諸島はそっちのけの戦闘になるであろうか。

 中国は様々なミサイルを保有しているが、中国大陸からのミサイル攻撃に対してはミサイルで発射基地を叩かなくてはならない。そうなると中国本国への攻撃となり、中国も沖縄の自衛隊基地や米軍基地への、自国防衛上のミサイル攻撃を加えて来るだろう。否、先に仕掛けてくるかも知れない。日本国内の基地はもちろん大都市の東京、大阪、戦況によってはグアムやハワイ、アラスカ、アメリカのホワイトハウスも狙うかもしれない。斯くして日米中の国民を犠牲にした戦争が始まるのだ。

 そこで初めてと言うか、ようやくと言ったらいいか、空海を制した後、海兵隊硫黄島の戦いさながらの、或いはイラク戦争さながらの軍事行動を、中国沿岸や内陸部で展開するのである。否、やはり海兵隊の出番はない。ミサイルのやり合いで十分に懲りるはずだ。停戦協定が暫くして日米中の間で交わされる。

逆の予想も成り立つ、中国は停戦協定を交わさないかもしれない。いったん、戦火を交えたら中国は勝つことしか道はないだろう。負けたら、中国は内部から崩壊する。民衆の蜂起や軍の内乱が広大な地方で起こるであろう。軍族みたいなものが起こり、中国政府は収拾に取り付く島もない。中国の主要都市や軍関係の施設が日米のミサイルで打撃を受けているのだ。民衆の死者も多数いるだろう。民衆が共産党に反旗を翻すかもしれない。中国政府はこれを恐れている。だから、中国政府自体は二の足を踏んでいるのだ。

 さらにシナリオを進めよう。やはり海兵隊は軍事力が近寄っている相手とはイラク戦争のように一方的な侵攻とはいかない。また、太平洋戦争のような総力戦になることもないであろう。その前にミサイルでお互いがお陀仏だ。アメリカが中国とベトナム戦争のように戦うことは考えにくい。大量のアメリカの若者の血を流すことになるからだ。もちろん、私たち日米中の一般市民は自分の生活圏に居ながら「艦砲のクェーヌクサー(食べ残し)」ならぬ、ミサイルの餌食になることをシナリオとして、当然考えなくてはならないだろう。

 何れにしても海兵隊の即応力をもって、どのように尖閣諸島紛争に対処するのか。納得のいく具体的な提示がないまま、中国の脅威論だけが煽られている。中国は明らかに東南アジアの海図の変更を軍事力によって推し進めている。三国史の世界のようにも見える。しかしこれはアメリカから乗せられた感も否めない。アメリカは、これからはG2の世界戦略だと誘ったこともあるのだ。太平洋を2分割する戦略は中国の発想ではないのだ。一人で頑張ってきた世界警察を二人でやろうと言い出してきたのは経済政策を絡めたアメリカが先導した。しかし、アメリカには易々と世界の覇権を手放したくはない人たちもいる。覇権による国益、私利私欲に味を占めている人たちだ。そして米軍は東南アジアの秩序や平和維持を名目にアメリカのプレゼンスを保とうとするのである。中国包囲網を思わせるアジア各国との多極軍事同盟、軍事演習は在沖海兵隊がその任に就いている。だから、沖縄にあまりいないのである。

 そんな中国の脅威論の中に「中国が沖縄の領有権を言い出してきている」と言うのがある。しかし、中国はかっての琉球王国を独立国と認めた上で、沖縄の独立を促しているだけである。沖縄は明治以前独立国であったが、日本に併合されたと主張する権利があると言っているだけである。その裏に軍事力を背景にした領土的野心があったとしても、日本はそれを強く跳ね返す意志と行動を持たなくてはならない。それは主権国家として当然であろう。そして尖閣に限っても尚更であるが、棚上げ論が有効であればその方が良い。経済的に切っても切れない関係を政治的敵対で壊すことはない。日中両国国民は基本的には平和を望んみ、幸せを望んでいるのだ。

 

 

  米軍が沖縄から出て行ったら中国に占領されると主張する人たちがいる。沖縄県内にその認識の人たちも多くいるだろう。しかし、これは3つの点でおかしい。

 

 1つ目は、海兵隊が沖縄から出て行くと抑止力が落ちるというのは他の在沖空軍・海軍・陸軍の存在を無視している。空軍の嘉手納基地一つとっても十分に抑止力はあるだろう。海軍の空母や強襲揚陸艦原子力潜水艦が寄港する勝連のホワイトビーチがあり、読谷村には陸軍の特殊部隊グリーンベレーがいる。中北部にまたがって点在する50余りのヘリパッドで日夜野戦訓練が行われていが、それらの訓練地域を含む米軍基地占有によって、沖縄の本島は実に20パーセント近くが虫食い状態の島なのである。周辺の海域は言わずもがなである。海兵隊が県外や国外に移転したとしても、国の安全保障体制に影響が出るとは到底思われない。海兵隊の主力部隊はグアムに移転し、残るのは後方支援部隊との計画もあるのだ。

 そこには日米安保条約の下、米軍基地があるというのが相手からしたら抑止になっている。日本は元々米ソ冷戦時代の前線基地で共産圏に対する防波堤の役割を担っていた。冷戦が終わりアメリカは世界に拡散した兵力を、中東を意識した再編統合や財政難と軍の技術革新による縮小整理を実施したが、日本においては、官僚主導の政府の懇願で、別な言葉で言えば「思いやり」などで、日本にはそのまま居座った状態が続いている。だから日本国自体が抑止力なのだ。冷戦時代と変わらず、その機能を十分に持っている。日米安保条約の下、今日の自衛隊と米軍でいかなる事態にも対応できるであろう。

  2つ目は、米軍が沖縄から出て行く可能性はどうであろうか、米空軍が沖縄から移転とは聞かない。海軍や陸軍が移転するとは聞かない。海兵隊は「普天間は返すが辺野古に基地を作れ」と腹黒い魂胆が透けて見える。

どこに、沖縄から米軍が移転し、米軍が姿を消すと言うのだろうか。今返還されているところは沖縄戦に占領された、あるいは戦後土地を奪われたところが帰って来ただけである。米国からしたら、多く取ってしまった土地をいらないから返すよと言っているだけである。米軍再編の整理縮小の一環であろう。

軍機能は統合、高機能化され、しかも東南アジアや中東などへのプレゼンスのため、ますます沖縄の基地は重要になってくるだろう。米国の四軍のうちどちらかが撤退するとは全く報道されない。否、一つだけ有る。それは沖縄の海兵隊だ。アメリカは在日海兵隊の移転を何度か策定しているが、いつも日本から待ったを掛けられる。もちろん、とても甘い飴による懐柔策である。

  3つ目は日本の自衛隊の役割である。さもこの辺野古の件について言えば、本土のある人たちは、沖縄は日本ではないような口ぶりである。つまり、日本の一県である沖縄県を他国が侵略するのであれば、それは即日本国の自衛権発動であるが、本土から沖縄を切り離した考えで、沖縄が侵略されたら大変だぞ、さあどうする沖縄という発言が目立つ。

もし侵略されたら、日本国は自衛のため、国家の存亡を賭け、日本国民である沖縄県民を守るべく、侵略者を撃退しなければならない。いくら沖縄が反対だからと言って、アメリカがいなくなったら、沖縄は中国の餌食という類いの発言は他人事のようで、心のヒジュルさ(冷たさ)を感じる。他県でも同じ事が起こったら同じように言うのであろうか。もし、このような事態になったら、本土の人は日本国民として、何かしらの援助をして欲しい。戦艦大和や神風特攻隊の英霊に恥じないように。もう一度言おう。沖縄県は日本である。沖縄県民は日本国民である。がしかし、沖縄県は日本の国の辺境の地であるが故、国体護持の為、本土(ヤマトゥンチュ)の安泰の為、防人の砦のように扱うというのがやはり本心なのではないだろうかと訝ってしまう。もし、ほんとに中国が沖縄にすんなり侵攻してきたら、そこはどうぞ、どうぞと寝返って、九州本州は彼方ですと、琉球王国時代から培った2面外交で対応するしかないだろう。

 

 

 沖縄戦時、辺境の地は台湾であった。だから主力部隊は台湾に移動させられたのだろうか。台湾の権益の方が沖縄よりも遙かに大きかったのだろう。しかし、アメリカ軍は沖縄に結集した。戦略的価値からすると沖縄の方が良い。沖縄を落とせば本土空襲が楽である。台湾の情勢も掴んでいたため、沖縄を楽に落とせると思ったかもしれない。そして、慌てた沖縄守備軍は本土防衛のため、「捨て石作戦」を取らざる終えなくなった。沖縄で食い止めるべく、決死の消耗戦に突入したのである。もし、原爆が投下されず沖縄戦終結したら、次は九州への侵攻だったのであろうか。それとも終戦を迎えたのであろうか。

 さて、沖縄の海兵隊の話に戻ろう。沖縄の海兵隊は沖縄に籍はあるが、神出鬼没が信条なので、フィリピンで共同訓練したかと思えばインドネシア、韓国、グアム、オーストラリア、タイなどに居て、沖縄を留守がちらしい。沖縄の海兵隊は何のために在るのか?どうも抑止力の為ではないらしい。沖縄の海兵隊8000人がグアムに移るらしい。実際のところ沖縄に残る海兵隊はおよそ3000人で、そのほとんどが遠征の為よく留守をすると言う。これで抑止力はホントに大丈夫なのか。海兵隊には抑止力を期待していないのだという考えがどうも頭をもたげて来る。同じことを言うが、沖縄の海兵隊は沖縄を拠点にしながら、沖縄に一年中居るわけではない。半年以上もいないと言われている。

  沖縄の海兵隊は沖縄を拠点とする派遣遠征部隊である。東南アジアやインド、中東を結ぶラインの様々な同盟国や友好国と平時、軍事演習や防災訓練、現地との交流、民生活動等で各国を回っているのだ。

 そんな海兵隊の中身はと言うと人員がよく替わるらしい。米本国の海兵隊と半年ごとに入れ替る。まるで半年契約の派遣社員のようなものだ。沖縄で訓練し中東に派兵され、アメリカ本国で兵歴をおえる。その繰り返しだ。同じ人物ではないのだ。だから、米軍人の犯罪は性懲りもなく、同じことを年から年中、沖縄でバカのように繰り返すのだ。厳しい訓練の憂さ晴らしに、事件を犯しても捕まらないと思って。訓練はもちろん、どのように確実に相手を仕留めるかを毎日教わる。酒によって罪を犯す。理性を失うのは人の常ではあるが、素手で相手の目を抉って殺す作法も教わっているのが軍人である。友達作戦で日本人に受けはいいが、中東で無垢なアラブ人を無差別に殺すので、大変嫌われている。

  日本政府は抑止力の為にも沖縄に海兵隊基地が必要と言う。辺野古が唯一の解決策だという。しかし、海兵隊は自己完結型の機動力があり、何時何処でも即応力を提供できると言われているので、実は沖縄でなくとも、最新の情報技術や兵器の技術革新によって、米本国から、または、あらゆる場所から有事には軍事行動が取れるという認識が、軍事専門家の常識だそうだ。それはどういうことかと言うと、例えば一つは、アメリカ本国からモニターを見ながら、無人機で敵基地や車両をピンポイントで攻撃できるのだ。イラクやシリアでの先進国の軍事行動を見れば判る。もう第2次大戦のノルマンディー作戦は記憶の彼方、アルバムの黄ばんだ写真なのだ。

 そのような考え方からすれば、東アジアからインド、中東に架けての同盟国に、抑止力を提供しているのは何も沖縄に限った話しではない、と言うのが世界の常識であろう。この技術革新の戦略によって、グアムや韓国、ハワイやテニアン、オーストラリアやフィリピンに海兵隊は展開しているのである。そのために米海兵隊はよく動くのである。

 ちなみに、海兵隊の即応力とは何か。いつでも準備しているということであるが、そのことはすぐ動けるということではない。まず諜報活動があり、米国防省の戦略があって、派兵されるのである。軍隊である以上、国家の意思が働かないと動けないであろう。

 ちなみに、狭い沖縄に基地がいっぱいと思っているのは沖縄人だけではない。当の在沖海兵隊も訓練するには沖縄は狭いと感じているようである。沖縄に来て、海兵隊の質が落ちるらしい。

 

 

 日本政府が沖縄に海兵隊の基地建設を強行するのは、基地を受け入れてくれる県が、他に出て来ないということが真実らしい。しかも、日本国政府は中国への脅威論を大上段に構え、自国の軍備拡張をしつつ、55年体制以来の官僚主義温存の為、アメリカ中心の世界観を国民に植えつけ民意を先導し、戦後の日本はアメリカがいないと成り立たないと、米国への執拗な従属意識からか、海兵隊よ、去らないでくれ、否、もっと来てくれと辺野古に軍港や弾薬庫、V 字型であれ、1800M滑走路2本付きの集約統合型軍事基地をプレゼントするのが、米国に対する日本国外交の常道らしい。なお、最近米軍基地をちゃっかり自分たちも使うことになっているようである。日米共同使用の名のもと、日米双方の思惑がそこには絡み合っている。

 米国からしたら、辺野古に基地機能を集中することは軍事上、軍事機密上願ったり叶ったりであろう。しかも、米国民の税金ではなく、全て日本国民の税金で賄われる。オスプレイはおろか固定翼機の飛行場になるのは目に見えている。なぜ、滑走路が当初の1300Mから1800M(2006年)になったかだ。回転翼機に1800Mも必要ないだろう。また、有事の際のオスプレイ等600機の基地にもなると言われている。ベトナム戦争の時同様に出撃基地、策源地になるのだ。米国はそのように沖縄を利用してきた。また、日本政府もそのように沖縄を利用させてきた。それをこれからも成就させるために出来レースの計らい事なのだ。95年の女子小学生集団レイプ事件を、冷酷にも絶好のチャンスと捉え、いったん頓挫した新基地への計らい事なのだ。ジャパン・ハンドラーが微笑みの中でも睨みを利かす舞台監督なら、日本政府がなぜか二つの顔を持つグロテスクなアシスタントディレクター、そして国民はというと、舞台で右よ左よと半狂乱に役柄を演じる、融通の利かないキョトンとした大根役者なのである。まるで政府と沖縄の関係は、お釈迦様ならぬ、米国様の手のひらで粋がる孫悟空が自分の子ザルに飴を与えながら虐待を働いているようだ。

 地元へのアメとムチは国家の常套手段だ。地方は自律か他律なのかで揺れる。世間ではユスリ・タカリの名人と噂される。沖縄人は有事の日米安保体制なのか、平時の住民の安全保障なのかで意見が割れる。他府県の多くは日米安保体制を支持するが、米軍基地は迷惑だと拒否する。

 

 

 想像してみよう。今後200年の間、基地から派生する様々な事件事故に自然豊かな山原に住む人々は辛酸を舐め続けるであろう。それとは逆に、交付金のお陰で山原の人たちは幸せを掴むことが出来るのであろうか。宜野湾市など嘉手納から南の町や村は基地がなくなり、平穏やある程度の繁栄が叶うことになるであろう。

 今後徐々に、被害に苦しむ北部の人たちと中南部の人たちとの間に、あまり関係性がないと言う感覚が芽生えて来たとしたら、それは恐ろしいことである。それはまさに構造的差別を内に作り出すことになる。東京で消費される電力のため、福島の過疎の地方に原発が誘致されたように、日本の安全保障のため、辺野古に基地を追いやる感覚は中央の感覚であり、「最後は金目でしょ」となんでも金で問題を解決できるという感覚も、まさに中央の感覚である。原子力は安全だと放射能の危険を金で買ってしまった福島の地域のように、辺野古から飛び立つオスプレイ墜落の恐怖の日々と引き替えに、あるいは犯罪の恐怖と隣り合わせに、街の復興のため、迷惑料として頂くことは当然だと、辺野古の住民は忍従するのだろうか。結果的に、事件事故があると、辺野古区など極限られた地域の問題とされてしまい、50年後には金で目の眩んだ辺野古ンチュがヘリ基地を作ったと、口では言えない沖縄の常識になるのであろうか。

 そこにはもう本土の辺野古移設推進派のヘイトスピーチはない。あるのは皮肉にも、米軍の事件事故に対する移設反対派だった人達の抗議の集会だけである。「ウチナーンチュの命を何だと思っているのだ」と叫ぶ声が、空しく辺野古の空に響く。

今の穏やかな辺野古基地とヘリ新基地とは全然様相や性質が違うが、そのことに気付いているだろうか。気づいてはいるが、やはりお金なのだろうか。豊かな海はどのくらい残るのだろうか。海を見渡せば、辺野古飛行場からひっきりなしに、タッチアンドゴーの訓練で飛び立つヘリや飛行機が黒いシルエットで見えよう。オスプレイは50年後も高江の住民の頭上を、轟音をたてて旋回し、離島の島々で強襲揚陸訓練などが続けられていくのであろう。

 それだからこそ今、私は政治家・翁長雄志を応援したい。イデオロギーよりアイデンティティーは県是筆頭であろう。住民に「生きろ」といった島田知事のように、県民の命を大事にしてほしい。

 

 

 政府は「普天間基地を一刻も早く移設しなければならない。世界で最も危険な宜野湾市のど真ん中にある普天間基地の移設が最優先だ」という。住民が多い地域より少ない地域のほうが良いと言いたいのだろう。あれから20年、普天間の運用停止を一刻も早く行わず、移設が条件とチグハグな論理で、沖縄の基地負担を解決しようとする。沖縄に寄り添うと言われても、肌感覚でどうもしっくりこない。

 しかしだ、普天間基地を県内に押し込もうとする日米両政府の不合理な企み、策動は自立経済の希求と共に、沖縄県民の南海の民族意識を呼び起こし、真っ当な知性と揺るぎない意志、世界に誇れる民主化の実践をこの地に創造させてくれたと言っても過言ではないのだ。

 ただ例外もある、公約を翻した沖縄県選出の国会議員たち。あの場面は沖縄県民として恥を掻かされた。ショックだった。長い物には巻かれる事大主義の首長や自分の懐勘定しか思いつかない経営者たちもいる。清朝と島津に2面外交をしてきた末裔の悲しい性であろうか。今一度沖縄戦の惨状や戦後の歩んだ苦難を思い出し、あるいは思い描き、これからもまだ、苦い汁を飲み続けなければならないのかを考えてほしい。

 普天間基地の早期返還は県民の切望だ。普天間基地海兵隊の基地にしたのが間違いだった。沖縄戦中、普天間飛行場は米陸軍が日本本土決戦に備え、兵員や物資を運ぶため急ピッチで作られたのである。台風が来たら施設は吹き飛ばされるほど粗末なものであった。そんな基地の周りに、自分たちの住む土地を奪われた住民がフェンスの傍らで必至になって暮らしていた。基地周辺から少し離れた場所には日米双方の不発弾がごろごろ転がって危険であった。ここは激戦区だったのだ。朝鮮戦争が始まった頃から、普天間基地は拡張され、ナイキミサイルの配備や陸軍から空軍へ移管される。復帰前には海兵隊が滑り込みセーフの状態で本土からやって来て居座り、それ以来危険度が増した。

 

 

 少し話はそれるが、那覇から中北部へ行くとき普天間基地の手前で、二股に分かれる基幹道路がある。一つは西海岸道路国道58号線であるが、東へ向かって横断的に普天間基地沿いを通り、東側の要所、沖縄市うるま市に至る基幹道路がある。沖縄の発展を見ると、基幹道路の周りに人が集まって町が膨らんだのであって、けして基地の恩恵を授かるために、周りに人が集まったのではない。

 沖縄は那覇が中心だ。県都那覇に向かって発展していった。狭い沖縄、那覇を中心に中南部に人口が膨れるのは当たり前だ。道が繋がっていれば、人々が住む家々が繋がり、町と町が繋がるのも当たり前で、そこに商業が発達するのも当然だろう。道あるところに人栄えるだ。子供の頃、那覇に行くときは家族全員綺麗な洋服で出かけて行ったものだ。沖縄市うるま市を繋ぐ道路などは家が疎らだったり、原野だったりした。しかし今現在、那覇から中部への基幹道路はほとんど家並が繋がっている。本土から移り住んだ人が沖縄は便利だと言っている。何処に住んでもスーパーなどが近くにあるからだ。

 戦前にあった国の天然記念物、宜野湾並松街道が普天間基地の滑走路に埋もれてしまった。首里の平良から嘉数を抜け普天間神宮に至る、琉球松の風光明媚な基幹道路だ。沖縄には東海岸道路と西海岸道路に大別されるが、宜野湾並松街道が今在れば、沖縄中央道路と呼ばれていたかもしれない。

 だから、普天間基地が田んぼだけだったの、畑だけだったの、そこには何もなかっただのと言ったり、普天間の上空から撮った写真を見比べ、基地の周りに後から町ができた。だから町の方が移転すればいいということ自体、それで何の解決になると言いたい。基地のゲート前に繁華街ができるのは何も珍しいことではないし、基地で働く人がいても何も不思議なことではない。そろそろ基地を返還してくれないかと言っているだけである。沖縄の何処に住もうが危険な目に遭わされたことはウチナーンチュがよく知っている。戦争で奪われた土地を、沖縄は住む所が狭く、人口も増えてきたので、基地は引き取って、持って行って下さいと言っているだけである。

 危険なのは普天間だけじゃない、沖縄は何処にいても、基地が危険だということは元々判り切っている。実際、普天間辺野古では40キロも離れていない、狭い沖縄のだ。今更、危険除去と言っても、沖縄の人は実際にいろんな所で被害に遭い、それに耐えてきたのだから、基地がなくなればいいと純粋に思っているだけだ。その沖縄の積年の思い、気持ちを無視するから、マタ辺野古ニナー、ウレーガティンナラン、ウセェートーン「また辺野古になの、それは合点がいかない、バカにしている」ということになるのだ。

 だから、グアム移転か富士の裾野に戻ってほしい。朝鮮戦争はまだ休戦中なのだ。中東派兵の訓練であれば、富士の原生林の中でもできるであろう。日本海や太平洋側にはだだっ広い砂丘を持つ県がある。そこでヘリや強襲艇の奇襲訓練をやればいい。中東の砂漠の情景に似ている。自衛隊基地で自衛隊と一緒にやればいいことだ。赤字の飛行場を抱えた県でもいい。

 50年近く沖縄県海兵隊を引き受けたのだ。辺野古も返してほしい。そこはアジア屈指の高級リゾートとして再生させるのだ。そこには雇用が生まれ、辺野古の子孫は代々生活が安定するだろう。中北部の山間の訓練場も返してほしい。そこの自然は県民の財産だ。それこそ県民納得の目に見えた負担軽減である。

 

 

 本土移転にすれば、場合によっては隣接県で相応の分担をし、引き受けることができる。北海道には広大な米軍基地があると言われている。面積でいうと沖縄は比ではない。ロシアの脅威もほっとけない。中国ばかりに正面を向くと、背後から槍で突かれる。ロシアはそれが得意だ。本土各地で訓練を分散してもいいと思う。揚陸艦の都合でいえば、長崎か佐賀、福岡あたりでもいい。上陸訓練に最適な入り江や離島もたくさんある。

 沖縄の野戦訓練はベトナム向きだった。寒冷の県でやる野戦訓練の方が北朝鮮向きだ。北九州や山口、島根、鳥取あたりは韓国や北朝鮮、北京に最も近い。日本海側に在れば拉致被害は抑止されたかもしれない。オスプレイがあるのだから日本国内どこへでも行ける。韓国への輸送も時間がかからない。民主主義国・韓国との連携は必要だ。移転は旧日本軍の、現自衛隊の基地を使えばいいことだ。そこは国有地なので税金の無駄使いがなくて済む。財布にやさしい移転なのだ。

 全国規模で反対運動が起これば、それこそ安全保障はどうするのかと国民的議論になる。各県一斉に県民投票すればいい。その中から苦渋の選択をするところが出てくるかもしれない。その時こそ振興策で納得してもらえばいいのである。そこにはユスリ・タカリという人は完全にいなくなるであろう。できれば国防意識の高いところがいい。海兵隊員を家へ招き、「お願いします」と酌を傾けてほしい。アメリカナイズした街並みに商店街が変わるだろう。そしてやり方によっては繁盛するかもしれない。そこは商売上手なヤマトゥンチュ(本土の人)、きっとうまくいくだろう。日米友好を旗印に此処彼処で邁進してほしい。本決まりする間、一時的に、訓練に支障がないよう関東のどこかに、ヘリパッドを建設してもいいだろう。日本国民も納得するはずだ。

 辺境の地沖縄も晴れやかに、応分の負担はしっかりやる意識が県民全員に芽生えてくるはずだ。そこには沖縄県民はじめ、国民に支持された安全保障の完成された姿を日本政府は見るであろう。その向こうにあるのは真に独立した日本の美しい姿だ。

 しかし、それでも解決できなければ、日本国民統合の結果として、国外移転であろう。海兵隊は全てグアムかハワイ、フィリピンやオーストラリアに移転する。もうすでに移転の計画はあるのだ。米本国の視点からすると、海兵隊は沖縄には不要と論じる米国政府中枢の人もいるのだ。グアムなどを本拠地にアジア各国を回り共同軍事訓練をすればよい。そこには自衛隊も参加するだろう。年に何回かは日本及び日本周辺にいることになる。まったく政府の言う抑止力になっているではないか。最後に言おう。

 

 それでも、沖縄をはじめ日本は、日本の地、空、海は占領されたままだ。それはどうするのだろう。日米地位協定とやら。明治の開明期、明らかに最恵国待遇の日米和親条約以上のようだ。否、それが面々と隷属さを増して続いているのかもしれない。アメリカに対しては。