沖縄と内閣府

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琉球

 

政府は内閣府の来年の概算要求を受けて、沖縄振興予算について今年度を上回る予算を決定、という報道を車のラジオで聞いた。新聞で確認したら、今年度より15億円上回る3350億円だという。車の中で「内閣府」の言葉だけが耳に残った、耳のすぐ奥の所で、ある言葉と重なった。それは「総督府」という言葉だ。台湾総督府朝鮮総督府と日本の内閣府が妙に重なった。総督府と言えば、日清戦争後の台湾総督府日露戦争後の韓国総督府。いずれも併合後の中枢を担った。

沖縄はどうか。琉球を日本に組み入れる時、当初は外務省管轄だったが、内務省管轄になった。その前に面白いことが起こっている。台湾出兵である。台湾に漂着した宮古島人を台湾人が殺害した事件を発端に、清国に対して宮古島人は日本人である、台湾人は曲がりなりにも清国人であると詰め寄り。よって清国に補償を求め、ついでに台湾に乗り込み、仕返しに台湾人を殺害し、居座った事件である。領土確定の為、宮古島人は日本人だと国際的にアピールする必要があったのだろう。しかし、その後、琉球帰属問題は清国の間でくすぶっていた。その折、日本は清国に宮古島人、八重山人を清国に身売りさせようとした。しかし、清国は宮古八重山琉球に返還した上で、琉球の独立を主張した。琉球国も分島には当然反対した。結局、日清戦争で清国が負け、宮古八重山を含む琉球国は日本の領土と確定したのである。そして日本は台湾も占有し、そこが日本の南端となった。

 日本が琉球国を日本国に、あるいは琉球人を日本人にするために、どのような政策を採ったのであろうか。明治時代、琉球人を立派な日本人として認めるには30年以上もかかったようだ。宮古八重山が日本国の一員として認められたのは40年もかかった。

その後、破竹の勢いだった日本がアメリカとの太平洋戦争で敗北し、台湾を放棄し、朝鮮はその後独立し、沖縄は日本から切り離された。ちょうど明治維新前に東アジアが戻ったかのようだ。

沖縄にしてみれば、敗戦後、米国の異民族支配から解放されるのに27年間もかかり、そしてまた、なおもその後、「本土並みへ」と向かう姿は、明治の琉球人が日本国の沖縄人として生まれ変わろうとした姿に重なってくる。内閣府の沖縄への振興資金は、戦後のいろんなことで立ち遅れた沖縄への一括交付金であった。それは暗に沖縄戦と27年間の異民族支配に対しての、日本人同胞としてのねぎらいの意味があり、いたわりが含まれていただろう。それがいつの間にか、基地の見返りの振興資金に変わってしまった。日本人は沖縄に基地を押し込もうとするあまり、沖縄人をいつの間にか責めたり、貶したりするようになった。振興策は基地とはリンクしないと歴代の内閣は言ってきたがしかし、今日の日本政府の中には「基地を認めなければ金は出さない」と公然と仄めかす大臣もでてきた。

 

沖縄人の総意は、ホントのところ、基地がなくなったほうがいい、と思っている。

 

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琉球人に扮した沖縄人